かなり昔の話だ。その日わたしは東京で遊び呆けて帰りが遅くなってしまった。小遣いをほとんど使い果たし、帰りの電車賃しか持ち合わせていない。
おまけに終電に間に合わないという最悪の事態に遭遇した。はてさて、どうしたものたか・・・。
当時わたしは高校生になったばかり。気後れするタイプだったから、慣れない都会で一人夜を明かすのはとても不安だった。どこか安心出来る場所で夜を明かしたい。本当は喫茶店にでも入りたいがキップを買ってしまったのであいにく持ち合わせは数十円。
しかたなく、わたしは新宿の地下をうろうろするハメになった。
西口あたりをうろついていた時だ。わたしは薄暗い通路に出くわした。そこは人通りもなく、とても静かだった。通路のわきには沢山の段ボールが置かれている。どうやらこそはホームレスのひとたちが集団で住み着いている段ボールハウスの集落のようだった。
いつもならそんな所からはさっさと遠ざかるのだが、あの時のわたしは昼間の遊び疲れで疲労困ぱいしていた。遠ざかるどころか、その段ボールの中で仮眠でもさせてもらえないかな、と思ったくらいだ。
そんなことを考えながら通路入り口に突っ立っていると、茶色の毛糸帽をかぶったおじさんが声を掛けてきた。身なりから想像するに、おそらく彼はホームレスだ。
おじさんは怪しく突っ立っているわたしのことを新米ホームレスだと勘違いしたらしい。寝る場所が無いんなら、俺の段ボールハウスを貸してやる、親切にそう言ってくれた。
わたしを自分の段ボールハウスに招き入れると、おじさんはどこかへ行ってしまった。段ボールの中は意外に心地いい。ホームのベンチなんかで夜明かしするのを考えれば、まるで別天地だった。
知らずと眠ってしまったわたしを起こしたのは見ず知らずのおばさんだった。時計を見ると午前五時。おばさんはわたしの顔を見てこう言った。
「よそ者だね。だけどここにあるもんは今日仲間と分けることになってるんだ。はやく出ていきなよ」
わたしは訳がわからなかった。この段ボールハウスは茶色の毛糸帽をかぶったおじさんの所有物じゃなかったのか?
実はそのおじさん、昨日の早朝にこの段ボールの中で死んでいたのだ。そこで所有者のいなくなった段ボールハウスは他のホームレスに形見分けとして分配される手はずになっていた。
わたしが会ったのは死んだはずの優しいホームレス。
生きている人間より死んだ人間の方が優しいなんて、せちがない世の中になった。
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