もう、10年以上前の話しだ。
その頃、わたしは芝居にハマッていて、友人と二人でよく東京へ出かけていた。面白そうな芝居を3つ〜4つピックアップしておいて、ホテルに一泊しながら観劇三昧の贅沢な二日間。いつも利用するのは新宿のワシントンホテルで、ツインで部屋をとり、夜中過ぎまで友人とその日観た芝居の感想を語り合うのが楽しみだった。
ある年の冬、久しぶりに面白そうな芝居があるから観に行こう、友人からそんな電話があった。午後7時から開演の芝居が終わったのは11時近くのこと。わたしがいつも通りワシントンホテルに泊まるつもりで駅の方へ歩いて行こうとすると、友人はタクシーを拾い、今日はワシントンじゃないよ、と言う。
大学のセンター試験のせいでどこのホテルも一杯で、御苑にあるホテルが一軒だけ空いてたからそこをを予約してある、とのことだった。
そのホテルは、大通りに面した一階は焼肉レストランになっていて、薄暗い路地に面した場所にフロントがあった。6畳ほどの狭いフロントでチェックインすると、部屋のカギを二つ手渡された。ツインが満室で、シングルを2部屋予約したのだそうだ。
友人とエレベーターに乗って予約した部屋の階へ着くと、彼はわたしの手から鍵をひとつぬき取って、さっさと自分の泊まる部屋を決めてしまい、わたしに残されたのは突き当たりの角部屋。
友人と廊下で別れ、部屋のドアを開けたとたん、そこは何とも言えない嫌な感じがした。部屋はこざっぱりとしていて、雰囲気はとてもいいのだが、ワケもなく落ち着かない気分になる。明日も芝居を観る予定があったので、とくかくシャワーでも浴びて早く眠ろう、そう考えたわたしは服を脱いで浴室へ入った。
シャンプーして、体を洗って、歯を磨いて・・・シャワーを出しっぱなしでそんなことをしていると、誰かが部屋のドアをノックしている。友人だと思ったわたしはシャワーを止め、
今、シャワーを浴びてるからあとで行くよ!
浴室のドアを開けて大声でそう答えた。
ところが、服を着て大急ぎで友人の部屋まで行くと、彼は眠そうな目をこすりながら不機嫌な顔つきでドアから顔を出しました。もうとっくに熟睡していた様子。
どうかした?
そう彼が言うので、
さっきドアをノックしたろう、
と答えるわたしを、友人はきっぱり否定した。
そんなはずはない、自分はとっくに眠っていた。なにかの聞き間違いだろう
へんな気分だった。聞き間違いじゃなく、誰かがノックする音をハッキリ聞いたのだ。けれど友人はさっさとドアを閉めて眠ってしまった。
その頃になって、わたしはあの部屋に入った時の嫌な感じが思い出されて怖くなってきたのだが、友人の寝起きの悪さも怖かったので、部屋を交換してくれとも言えず、しぶしぶ自分の部屋のベットに潜りこんだ。
ところが今度は寒くて眠れまない。冬だったので部屋にはもちろん暖房が入っていた。わたしは暖房の設定温度を32℃まで上げ、すっぽり布団にくるまって眠ろうとしたが、全身ゾクゾクしてとても眠れない。
そんなことをしている内に真夜中を過ぎで、時計は午前3:00を指していた。
相変わらず寒くて眠れないし、何だか心細くなってきたわたしは、今日観る予定の芝居のチケットを取り出して、なんとか楽しいことを考えようとしたとき・・・誰かがこの部屋をノックした。
コンコン、コンコン・・・。
ノックの音は2回でやんだ。来るべき者が来た、理由もなくそんな気持ちになったわたしは、ベットから出てドアを開けた。
ドアの外には誰もいない。だが、本能がなにかを警告していた。とても危険で禍々しいものが近くにいる予感。
見たくない・・・だが、見なくてはならない、わたしは決意して廊下全体に目をやった。
この部屋からまっすぐ伸びた廊下の突き当たりに、スーツ姿の男性がこちらを向いて立っている。最初はホテルの従業員かと思ったが、すぐに違うと確信した。
スーツ姿の男性は手足を動かすこともせず、わたしの方へジリジリ近付いてくるのだ。古典的な幽霊がフワフワ浮いているのとは違って、廊下を滑るように近づいてきて・・・そのスピードはどんどん早くなり、まるで突進するような勢いですぐそこまで迫ってきた。
わたしはヤバイものを感じて咄嗟にドアを閉めた。その拍子に、ベットの上に置いてあったチケットが床へ落ちた。
ドアの向こうはシンと静まり返って、ノックする音も聞こえない。ちょっと安心して、わたしはベットの下に落ちたチケットを拾おうと床に屈み込みこんだ。
その時。
わたしはベットに隠れた、この部屋の壁を見て硬直した。
まるで血しぶきのような茶色いシミがベットの下に隠されていたのだ。
慌ててフロントに電話すると、それはコーヒーのシミであり、あいにく今夜は満室で、他の部屋を用意することも出来ません、とあっさり返答された。どう考えても、コーヒーをこぼしたようなシミには見えないのだが・・・。
いずれにせよ、その晩はそこに泊まるしかなかった。
結局、わたしは一睡もできずそこで朝をむかえ、おまけに原因不明の高熱が5日も続いて、次の日の芝居を観ることもできず寝込んだのだった。
あの部屋は何だったのだろう?
もう二度と泊まりたくない。
本当にあった、怖い話。
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