怖い話-遺品の怖い話

スポンサーリンク

数年前、近所のおばあさんが亡くなった。

そのおばあさんとは親戚でもなければ、親しくもない。使っているゴミステーションが同じだったので、ゴミの日に顔を合わせることがある、その程度のお付き合いだった。

おばあさんが息子夫婦と一緒に暮らしていたことを知ったのは、隣人からおばあさんの訃報を聞き、お別れの線香をあげに行った時だ。弔問客をもてなしていたのは息子夫婦で、彼らの話から同居していたことを知った。わたしはてっきり独居老人だと思っていたので、少し驚いた。

先にも書いたが、わたしは別段おばあさんと親しかったわけではない。亡くなったおばあさんとは、年に数回、ゴミの日に顔を合わせる程度の付き合いだ。だがおばあさんの方は、わたしと顔を合わせるのが愉しみらしく、会うたびに長話につき合わされた。

生前、わたしとおばあさんは山積みになったゴミの前で一時間近く話をすることもあった。わたしが「そうですか」とか、「たいへんでしたね」とか、おばあさんの苦労話にあいの手を入れると、彼女の昔話はどんどん盛り上がっていく。気が付けば時計の長針がグルリと一周、なんてことは珍しくなかった。

わたしはいつの間にか、おばあさんについてかなり詳しくなっていた。 おばあさんは16歳で結婚し、25歳の時には実家の両親を亡くし、空襲で4人の兄弟を失って、29歳で重い病を患い、病気を抱えながら働いて、舅、姑、大舅、小姑、の面倒を看続け・・・・と、彼女の自叙伝が書けるくらいその人生を聞き知っていた。そしておばあさんの語り中には、息子の影は一切なかった。だからわたしは、てっきり子供のいない独居老人だと思っていたのだ。

弔問客に混じりながら亡骸に手を合わせ、おばあさんの安らかな死に顔を眺めなているうち、わたしは違和感を覚えはじめた。何か腑に落ちなかった。どうにも落ち着かない気がした。だがその原因がわからない。独居老人だと思っていたのに息子夫婦と一緒に暮らしていた、という違和感ではない。おばあさんの死に顔は安らかなのに、このまま逝かせてはならない気がした。そのうち、わたしはどうにもソワソワしてきて、逃げるようにその場を離れた。

通夜と告別式も終わり、49日も過ぎた頃だ。 わたしは3日続けておばあさんの夢を見た。夢の内容はいつも同じだ。生前、おばあさんと長話したシーンが夢に出てくる。実に奇妙だった。夢を見たあと、わたしは決まってソワソワした。おばあさんの死に顔を見た時のような、得体のしれない違和感にソワソワした。

それから数日後のこと。 霧雨が降る肌寒い梅雨の朝だった。

忙しい伴侶の代わりにゴミを出しに行くと、ゴミステーションのカゴに、一つだけゴミが出されていた。それは自治体指定のごみ袋にも入っていない、黒革のハンドバックだった。古ぼけていて、形は崩れ、カビが生えたハンドバンクは、押入れからそのまま持ち出されたように、透明ビニールに入れられ、ごみステーションの片隅に投げ捨てられていた。

わたしはそれが誰の持ち物かすぐに分かった。あのおばあさんだ。亡くなったおばあさんは、会うたびそのバックを持っていた。

故人が生前身に付けていたバック。それはきっと大切な物だったのだろう。もしかしたら相当お気に入りだったか、大事な人からの贈り物だったのかもしれない。だがその持ち主はとっくに死んでいて、しかもわたしの親族ではなく、主を失ったバックは霧雨の朝にゴミステーションに無慈悲に投げ捨てられており、形は崩れ、カビが生え、持ち手の糸はほつれてボロボロ状態。

普通ならこんなバック、拾って帰ろうなんて考えない。縁起も悪い。こんなもの持ち帰ったら家族に嫌がられるだけだ。だからわたしは、誰にも知られないよう内緒で自宅に持ち帰り、カビを落として綺麗にし、天気の良い日は伴侶にバレないよう窓辺に干して、ほつれた所はボンドで止め、精いっぱい見栄えを整えてやった。

わたしがどうしてそんなことをしたのか、今でもよくわからない。とにかく、バックをあのままゴミとして処分してほしくなかった。ただ何となく・・・その程度の気持ちだった。その程度の気持ちで、わたしはバックを綺麗にし、おばあさんが埋葬された寺(我が家の隣だが)の住職を訪ね、おばあさんの遺品としてバックを寺で預かって欲しいと頼みに行ったのだ。

わたしが訪ねて行ったとき、住職は怪訝そうだった。 それはそうだ。親戚でもない人間が、突然「故人の遺品のバックを預かってくれ」なんて言ったら、怪しまれるに決まっている。だが、私が差し出したハンドバックを見た住職は、不思議な顔つきになった。それから、わたしを座敷に招いてお茶を勧めてくれ、バックを手に取ると、思いがけないことを言った。

・・・おばあさんは、これを探していたかもしれないね

おばあさんは生前、よく住職の元を訪ねてきたのだと言う。そして、私に語ったように、おしゃべりを楽しんだ。

苦しいこと、寂しいことが山積みだった彼女の人生。死にたいほどの苦労に押しつぶされまいと、辛い心の内を言葉にして、吐き出したかったのだろう。住職は何十年もの間、おばあさんの話相手だったらしい。

・・・あの人はいつもこのバックを持っていてね。畑仕事でも、田植え仕事でも、いつでもこの黒い革のバックを手放さなかった。日本手ぬぐいをかぶって、長靴を履いて、泥だらけになりながら革のバックを持っているんだ。この辺りは閉鎖的な田舎だったから、そんなおばあさんを笑う者も多かったが、あの人は決して手放さなかった。家に帰った時、自分の持ち物が全部処分されてるかもしれない、そんな不安にいつも怯えてた。

バックの中には、あの人の全財産が入っていたんだ。亡くなった御両親や兄弟の形見と、わずかな現金、それをいつも肌身離さず持っていた。姑さんや舅さんが厳しかったらしいね。いつ家を追い出されるかわからない。実家にも頼る両親はいない。どこにも行く当てがないから、いつ追い出されてもいいように、自分の全財産を持ち歩いているんだ、ってよく話してたよ。子供ができなくて養子をもらったから、なおさら風当たりも強かったんだろう。

このバックは、おばあさんにとって格別大切な物だったんだ。一緒に棺に入れてやればよかったものを、そんなこともわからないとは・・・だからあんなことになったのかもしれないね。

わたしはそこで、住職から初めて聞かされた。おばあさんの息子夫婦が、相次いで病に倒れたことを。

バックはその後、寺で供養され、おばあさんと一緒に弔われた。息子夫婦がどうなったか、詳しくは知らない。怖くて聞けない。

本当にあった怖い話。

スポンサーリンク
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次