怖い話 呪われた土地

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「呪われた町・呪われた土地」・・・・まるで都市伝説のようなキャッチコピーだが、こういった場所が本当にあると、皆さんは信じるだろうか?

都市伝説というモノは若い人たちが愉しむ「ホラーの遊興」であって、わたしのような年代の人間が鳥肌たてるものではない。だから、わたしより10も年上の、都市伝説という言葉も知らない、地方公務員を40年間ひたすら真面目に勤め上げた70代後半の白髪女性が、「この辺りは呪われてるんですよ」なんてニコリともせずに言うと、本当にギョッとする。

この女性の名を「Sさん」としよう。

Sさんとわたしは、昔、仕事で付き合いがあった。彼女はとても人柄が良く、周囲からの人望もあり、何かと頼りにされながら定年退職を迎えた。退職後は特別親しい付き合いはなかったが、街で偶然会ったときなどは互いに立ち話をすることもあった。

昨年の春だったろうか、ちょうど桜吹雪が舞う時期に、散歩途中とおぼしきSさんと出くわした。その日は天気が良かったものだから、わたしは愛犬を連れて遠出をしている最中で、どうやらSさんと会った場所は、彼女の自宅の近所だったらしい。しばらく何気ない世間話をしていると、彼女は突然、思い立ったようにこんな質問をしてきた。

「この辺りで、このくらいの大きさの、石を見たことはありませんか?」

言いながら、Sさんは胸の前で両手を30㎝ばかり広げてみせた。

「この辺りを歩くたびに私は石を探しているんです」

彼女が石を探し始めたのは5年ほど前からだと言う。その理由を訊いてわたしは耳を疑った。彼女の話はこうだ。

Sさんが40代の頃、見知らぬ初老の男性が職場を訪れた。当時、彼女は市役所の税務課窓口にいた。その人は税務の手続きで市役所を訪れたのだが、偶然お客さんも少なくて、男性がやって来た時は他に手続きを待つ人もいなかった為か、彼は窓口で対応したSさんを見るなり、「あなたのこと、知ってますよ」と、意味ありげに話しかけてきた。

その初老の男性の身なりは小ざっぱりとしていて、品格もあり、言葉遣いや身のこなしにも教養を感じたが、見知った顔ではなかった。毎日大勢のお客さんと顔を合わせる仕事なので、自分に見覚えはなくても、相手が自分の顔を知っているのは良くある話。だが、その男性の話題はどうにも変わっていて、薄気味悪かった。

まず男性が切り出したのは、「あなた、ジョウカン通りにお住まいでしょう?」という一風変わった言葉で、Sさんは話題の先が読めずに困り果てた。「ジョウカン通り」という地名は聞いたことがない。男性はSさんの困惑も気にしない様子でさらに続けた。

「あなたね、暇な時に石を探しなさい。わたしはあの辺りで20年も石を探してるんですよ。なかなか見つからなくてね。わたしも歳なので、いつまで探せるかわからない。もしわたしが死ぬ前に石が見つからなかったら、あなたが見つけてください」

男性の話では、Sさんの家が建っている辺りはずいぶん昔「ジョウカン通り」と呼ばれていたという。ただし、これは俗名なので地図にも載っていないし、そんな呼び名を知る人間も少ない。「ジョウカン通り」の由来は古く、150年ほど前のある事件がきっかけなのだという。

遡ること150年前、この地域に「ジョウカン」という名の若い僧侶がやってきた。僧侶は行くあてがなかったのか、いつの間にかこの土地に住み着いた。よそ者に対して世間の目が厳しい時代だ。僧侶といえどもそれは変わらなかったのだろう。ジョウカンさんはこの土地の人たちのために献身的に働いた。そうして、閉鎖的だった村の人たちも彼を受け入れるようになったある年、この地方にひどい疫病が流行ったのだ。

疫病のために大勢の人が苦しみ、死んだ。疫病によって人々の心は荒んでいったのだろう、誰ともなく、疫病が流行ったのはよそ者のせいであるという噂がたった。ほどなくして、村人たちの不安と不満が臨界点に達した時、暴徒と化した一部の村人によってジョウカンさんは袋叩きに遭い、理不尽に殴り殺されたのだ。

初老の男性が探している石は、ジョウカンさんを弔うために建てられた小さな墓碑なのだという。

墓碑は50年ほど前まで、確かに「ジョウカン通り」にあった。粗末な仏様が刻まれた墓碑は風雨にさらされ、自然石と見分けがつかないほどの状態だったが、地域の年寄の何人かは、折を見て季節の花を供えていたという。墓碑が行方不明になったのは、道路がアスファルトに整備されたときのことだ。工事を請け負った業者が近くへ移動したらしいのだが、墓碑はそれ以来みつからない。もともと、そんな墓碑があったことも知らない住人の方が多かったので、問題にもならなかった。

「わたしはその話を聞いた時、窓口にやって来たこのおじいさんは頭がおかしいんだと思いました。だからそんな話、すぐに忘れてしまっていたんです」

Sさんは言った。

「でも退職して家にいるようになってから、その話をふと思い出しました。仕事を辞めるまで、私は休日しか家におりませんでしたし、休みの日も色々忙しくて、家の周りの事など気にしている暇なんかありませんでしたから」

退職してはじめて、彼女は「ジョウカン通り」が他と違うことを実感したのだと言う。

ジョウカン通りには不穏な気配が絶えなかった。わずか300mばかりのジョウカン通りは、日常的に不審者がうろつく噂があったり、親の介護の末に自分が認知症になって徘徊する人や、風呂場で溺死する人、子供全員が離婚して戻ってくる家、階段から落ちて血だらけになっている親を見殺しにする子供、ストーカーのように近所の人間を見張る奥さん、突然死で働き盛りの父親を失った家庭、ゴミの不法投棄、のぞき、盗難、嫌がらせなど、世の中の嫌な出来事が凝縮されているような場所だった。他にも、数えればきりがないような不幸がここにはあった。

友人に自宅付近の出来事を話すと、そんな場所は他にはないと驚かれ、そう言えば、この付近に出店する店は1年もたずに閉店してしまうことも気になった。

「呪い」などこれまで考えたこともなかったが、どう考えても、この土地は呪われていると感じるようになったSさん。30年前に出会ったおじいさんの言葉を思い出して、ジョウカンさんの墓碑である石を探し始めた。

「石をみつけて、供養しようと思っているんです。すべては偶然かもしれませんが、偶然ではないのかもしれない。だからこうやって、天気の良い日は散歩がてら石を探しているんです」

ジョウカン通りの出来事が呪いなのかわからない。彼女が出会った老人が何者なのもわからない。単なる思い過ごしか、ごじつけか、たまたま起きた偶然なのか。

もしかしたら「石」を探す縁を与えられたこと自体、Sさんにとって呪いなのかもしれない、と考えた。

作り話のような、本当の話。

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