不景気が続くと弱小企業の経営は厳しい。リストラされたり、ボーナスや残業手当をカットされたり。経営者もかなり厳しい選択を迫られることもある。これは数年前、弟から聞いた本当のお話。
弟は地方の個人経営の会社に勤務していた。社員は二十数名。経営はやはり厳しく、残業手当どころか給料の支払いも遅れるありさまで、転職も考えていた。
社員二十数名のうち、社長の血縁者が十数名。血縁者のほとんどは遅刻の常習犯で、他の社員たちの不満のタネでもあった。
その日、社長を含めた社長の血縁者たちは、昼を過ぎても会社に顔を出さなかった。3時のお茶の時間になっても、夕方になっても出社しない。経理の者も 何の連絡も受けていない、と不審そうだった。弟はその日にどうしても社長にサインをもらう必要があったので、経理の人に「社長に連絡してくれ」と頼んだ。
経理の女性はその場で社長の携帯電話に連絡してくれたが、圏外で通じない。自宅にかけても話し中で通じない。話し中ということは、自宅に誰かがいるだろうと考え、弟は社長の自宅まで出向いていくことにした。
アテが外れ、社長宅は留守だった。ガレージには車も無く、家の中にも人の気配もない。困り果てた弟がしばらくそこで待っていると、社長の車が戻ってきた。良かった そう思って見守っていると、社長の車の後ろからパトカーが一台ついてくる。その後ろには、社長の血縁者たちの車が何台か続いた。
社長の車から降りて来たのは奥さんで、社長本人はパトカーから警察官と一緒に降りて来た。奥さんと警察官が玄関前で簡単な会話を交わした後、パトカーは帰っていった。
一部始終を呆然と見ていた弟は、サインをしてもらうことを思い出して社長に声をかけた。だが、社長はうつろな目を向けただけで、黙って家の中に入ってしまった。事情が飲み込めない弟に、血縁者の一人が訳を話してくれた。
その日の朝、社長は会社の経営を苦にして自殺しようと思ったらしい。そこで、あてもなく山に入って首を吊るのにちょうどいい木を探して歩いていた。命を締めくくる大事な行為なので、自分の納得する枝振りが良かったのだろう。
何本も何本も見て歩いて、とうとう気に入った木がみつかったので、ロープを枝にかけると、大きな影が隣の木の上で揺れている。見上げると、ダラリと伸びた手足に、真っ二つに頭を折って揺れている首吊り死体だった。
社長は腰が抜けて、その場で携帯電話を使って奥さんや血縁者や知人に助けを求めた。思わぬ先客に自殺するのも忘れ・・・というより、自分もこうなるのかと考えたらとても首を吊る気になれなくて、ぶざまにも助けが来るまでそこから動くことも出来ずにいたらしい。
以来、社長も血縁者たちも真面目に働いているそうだ。だが、あの日サインをもらう予定だった大口の契約は流れてしまったらしい。
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