生霊・・・というのを信じるだろうか?
日本では意外となじみの深い言葉。人々の心の奥底に今でもひそかに信じられているもの。一番有名な生霊は源氏物語に登場する「六条御息所」だろうか。
光源氏の恋人として物語の前半から登場する彼女は、その嫉妬深さが生霊となり、自分の知らない所で源氏の愛する女たちに仇なすようになる。
今も昔も恋の怨念は恐ろしいが、色恋だけでなく、人間の妬みや嫉妬は、深く、怖いものがある。
わたしの友人に結婚しない男がいた。本気で好きになった女性がいたものの、色んな理由で結婚できず、独身を貫いていた友人。周囲から結婚を薦められても、なかなか本気にならなかった彼が、ある時、わたしに電話をかけてきた。
実は最近好きな人がいる。彼女とは結婚を考えている。来週そっちに彼女を連れて遊びに行くから、皆で会わないか?
わたしは地元の友人を集めて会う約束をした。そうか。やっと彼も落ち着く気になったか。内心とても嬉しかったし、共通の友人たちもその吉報を喜んでいた。
彼と会う前の晩のことだ。わたしは奇妙な夢を見た。それは怖いというより、リアルで暗い、とても不快な夢だった。
夢の中でわたしはビルの中にいた。まったくビルっぽくない殺風景な景色なのだが、夢の中のわたしは「ビルの中にいるのだ」と思っていた。
そのビルは建設中で、電気もない。わたしはそこに一人で立っていた。何をするでもなく、何をしに来たのかもわからないが、とにかく一人で立っていた。
薄暗いビルの中はシーンとしていて、物音ひとつしない。わたしはただ立ち尽くし、暗いビルの壁をジッと見つめていた。しばらくボーッとしていると、背後に気配を感じた。
何か重々しい気配が背後にある。いや、背後にいる。
振りむくと、わたしが立っているフロアーと、隣の部屋をつなぐ入り口に、女の子がしゃがんでいる。
女の子は下をむいたまま、わたしの方を見ようとしない。時間が止まったように、わたしは少女を見つめ、少女は床を見つめたままだった。
少女を見つめているうち、わたしはだんだん息苦しくなってきた。鼓動が早くなり、息をするのが辛い。少女は相変わらず床を見つめたまま、顔をあげようともしない。わたしの鼓動は早くなるばかりで、ついには息が止まりそうになった。
苦しい・・・・そう思った時だ。
ずっとうつむいたままの少女が顔を上げた。陰鬱に顔を隠していたセミロングの黒髪がサラッと揺れ、少女がゆっくりわたしを見つめ返した。
その瞬間の不気味な不快感は、今でも忘れられない。気がついたとき、目の前には薄灰色の天井があった。わたしは放心したように天井を見ていた。今日が何日で、自分がどこにいるのかもハッキリしなかった。それから耳元でアラームの鳴る音が聞えた。そう、わたしは自分の寝室のベットの上で目覚めたのだ。
さっき見たものが夢だと確信するまで、しばらく時間が必要だった。夢だとわかったとき、心底安心したのを覚えている。それほどその夢はリアルで、不快なものだった。
友人たちと待ち合わせをしているあいだ、わたしは一番仲のよい友だちに昨夜の夢の話をした。嫌な夢だなぁ・・・友だちはそんな一言を返しただけで、大して気にもとめなかった。そのうち、恋人を連れて独身貴族の彼が笑顔で現れ、わたしたちは久々の再会を楽しんだ。
幸せそうな友人と、朗らかで明るい彼女を見て、わたしも夢の話など忘れていた。彼はきっと幸せになるだろう、そんな希望を感じで嬉しくなった。
再会して一ヶ月も経った頃には、結婚式の招待状が届いた。結婚式は彼女の生まれ故郷である埼玉で行われた。わたしを含め、数人の友人が招待されたのだが、そこで初めて知った事実がある。相手の女性はバツイチで、小学校6年生になる娘さんがいる、ということだ。
娘さんはよく笑う可愛らしい女の子で、花嫁である母親と同じようにドレスを着て、高砂の席に座っていた。お母さんを幸せにしてください、娘さんはけなげな声で新しい父親に祝いの言葉を述べた。
披露宴もつつがなく終わり、わたしは友人たちと電車で岐路についた。帰りの電車でわたしの隣に座ったのは、一番仲のいい友人。そう、例の不気味な夢の話をした相手だ。
他の友だちがウトウト居眠りをはじめた頃、隣の友人がそっとこう言った。
アイツ、大丈夫かな・・・。
その言葉が妙に心配げな響きを帯びていたので、わたしは思わず彼を見た。彼は、わたしが話した夢のことを話題にし、こんなことを言ったのだ。
花嫁の娘さん、おまえが話してくれた不気味な夢の中の女の子みたいだったんだ。
友人の話はこうだ。
花嫁の娘さんは披露宴の間中よく笑っていた。まるで花のように可愛らしく。実の子ではないと言え、こんなに朗らかな娘がいたら、さぞ可愛いだろうとうらやましくなるほど、彼女は明るく、母親の結婚を祝福しているように見えた。最初のうちは。
ところがよく見ると、会場の視線が新郎新婦に注がれるようなセレモニー中・・・例えばウェディングケーキ入刀の瞬間とか、誰かが新郎新婦に話しかけている一瞬とか、会場の誰もその娘さんに注意を払わないような時、彼女はうつむくことがあった。そうしてうつむきながら、誰にも気づかれないように新郎を恨みがましく見ていた、と言うのだ。その姿が、わたしの話した夢の中の不気味な少女を連想させた。
まさか・・・わたしは口走ったが、それ以上続けられなかった。唐突に、ひどく不安な気持ちになったからだ。
あれから数年、友人たちはまだ家族として暮らしているが、幸せとは言いがたい。友人の経営していた会社は倒産し、自身も体を壊して半病人だと言う。奥さんとはうまくいっているのか、いないのか、わたしたちからの連絡を彼に取り次いでももらえない。
表面的には祝福していても、娘さんの本音は「母親を奪った憎らしい男」なのかもしれない。そんな怨念が生霊のように不幸を招いたんじゃないかと、友だちは言うのだ。
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