みなさんは思いがけない偶然に、驚いたことがあるだろうか?
「偶然」と呼ぶにはあまりに「必然」と思えるような出来事や、出会い、再会。
まるで仕組まれたような「必然的偶然」の意味を考えると、怖くなることがある。
それらはまさに「因縁」としか思えない。
因縁とは仏教用語だ。辞書をひくとこう書いてある。
◆【因縁】→物事が生じる直接の力である「因」と、それを助ける間接の条件である「縁」。
すべての物事はこの二つの働きによって起こる。
わたしはこれに付け加えたい。「因」には人間の身勝手な心が関与し、「縁」には虐げられた人間の執念が関わっている場合が多い、と。
「因縁」の不気味さを特に強く感じた出来事がある。
数年前、知り合いに頼まれて特別支援施設の夏祭にボランティアスタッフとして参加した。
施設には大勢の障害者たちがいて、自宅から通う人もいれば、長い間そこで暮らしている人もいる。
その施設にいるのは脳障害を患う人たちばかりだから、施設の職員以外、まともな会話をできる人間はほとんどいなかった。
わたしはそこで三人の人間に、偶然、再会した。
いや、再会と呼ぶのはおかしいかもしれない。
三人のうち、顔を知っているのは一人だけで、あとのふたりに会うのは初めてだからだ。
顔を知っている人間を仮に「キョウコ」さん、と呼ぼう。
キョウコさんは、わたしが以前住んでいた場所のご近所さんだ。
彼女は一年ほどそこに住んでいて、突然、姿を見なくなった。
当時のキョウコさんはまだ若々しいお嫁さんだったが、再会した時の彼女は当時の面影をわずかに残すばかりで、生活に疲れ果てた風体だった。
キョウコさんは私の顔を覚えていなかったのだろう、こちらはボランティアスタッフの方です、と紹介してくれた施設の女性職員の言葉に、軽く会釈しただけだった。
彼女の傍らには一人の女性がいた。
その女性は施設で暮らす障害者で、年の頃は20代後半、体に不自由はないが、精神的に重度の障害を持っているらしく、奇声を発したり、突然暴力をふるったりと、少しも目が離せなかった。
彼女はキョウコさんの娘で、名前はミカ(仮称)さんという。
夏祭りには親も揃って参加しなくてはならないから、障害者の傍らには多くの親たちがいた。
障害者たちの年齢も幅広く、50代にもさしかかろうとする人たちの親などは、自分の世話もやっとな高齢者だ。
キョウコさんはまだ若い親の部類だったが、苦労が多かったせいか、ひどく年取って見えた。
午前中、夏祭りの露店の手伝いをしていたわたしは、途中からキョウコさん親子の面倒をみる役割になった。
夏祭りの盛況さに興奮したミカさんが、いつもにも増して目が離せない状態になり、祭りに来ている一般のお客さんを叩いたりするようになったからだ。
母親のキョウコさんや、いつもミカさんの世話を担当している施設の女性職員・トモミ(仮称)さんだけでは対処が難しかった。
興奮したミカさんは女性とは思えないほど力が強く、歩くのも早かった。
自分の興味をひく対象があると、驚くほどの速さでどこかへ行ってしまうので、わたしはずっと彼女と手をつないでいた。
特に注意しなくてはならないのが、近くに小さな子供がいる場合だった。
この施設の夏祭りには、良い品が安く、たくさん並ぶのが有名で、施設のと関係ない一般のお客さんも大勢やってくる。
小さな子供連れの家族や、近所の子どもが友達同士でウロウロしていたりする。
ミカさんはそんな健常者の子供を見ると、とても嬉しそうに興奮するのだが、嬉しさを表現する方法が大問題だった。
彼女は突然、前触れもなく、子供たちに手をあげるのだ。
しかも力加減に、容赦がない。
おもいっきり、躊躇なく頭を叩こうとする。
実際、わたしと職員のトモミさんが目を離した一瞬のすきをついて、二人の子供が頭を叩かれた。
ミカさんに叩かれた子供は当然泣いた。
痛さもあるだろうが、見知らぬ大人に突然叩かれたらびっくりする。
痛みと恐怖で親にしがみついて泣いていた。
激怒する親に必死で謝ったのは、わたしとトモミさんだ。
当事者のミカさんと母親のキョウコさんは、他人事のような顔をして別の店をのぞいている。
ふたりを見失うとまずいので、謝罪もそこそこにその場を離れたが、気分は釈然としなかった。
ミカさんは健常者ではない。
だから我々のルールは通用しない。
ミカさんにとっては、ミカさんのルールで世の中が動いている。
だが、健常者のルールや社会の規範があることを教えなくてはならない。
生きていく限り、健常者と関わりあいながらやっていくしかないのだから。
物を壊したり、他人を叩いたり、突然騒いだりすることはマズイのだ、そう繰り返し教えなくてはならないんじゃないか。
誰かを傷つけた時は、ゴメンなさいと謝るものだ。
そういうことを周囲の大人が教えなくてはならない。
彼女が理解できようができまいが、彼女と関わる立場にある以上、そこをおろそかにしてはいけないのだ。
キョウコさんだって、自分の子供がやったことに対して、きちんと謝罪する姿をミカさんに見せるべきだ。
祭りが終わり、キョウコさん親子が別室へ移動したあと、わたしは職員のトモミさんにそう意見した。
老婆心ではあるが、決して見失ってはならない重要なことだと思ったからだ。
トモミさんは真摯な態度でわたしの話を聞いてくれた。
その通りです、と、深く何度もうなずいた。
それから、「興奮すると自制が効かなくなりますが、いつもあんな風ではないんです。きちんと謝ることもあります」と、ミカさんをかばったりもした。
その様子に、わたしの方が申し訳なく思えてきて、少し反省した。
仕事とはいえ、トモミさんは毎日ミカさんたちに接し、世話をしているのだ。
道理や理屈が通用しないことも沢山あるだろうに、それらを受け入れて、ミカさんたちの人間性を尊重している姿は、とても感慨深かった。
わたしの反省の色を見て取ったのか、トモミさんは突然話題を変えた。
その場の雰囲気を和ませるつもりだったのだろう。
わたしに、「以前、Mという場所に住んでいたとお聞きしました。わたしもMの出身なんです」と、言った。
「M」というのはわたしの以前の住まい。
懐かしさのあまり詳しく聞いていくと、トモミさんの祖父母は、当時わたしがとても親しくしていたご近所さんだった。
わたしはあまりの偶然に驚きを隠せなかった。
わたしはその時、ひどくこわばった顔つきをしていたに違いない。
わたしの顔色が変わったことに気付かないまま、トモミさんは深々とおじぎして仕事に戻って行った。
さて、わたしがなぜ顔色が変わるほど驚いたのか、お話ししよう。
キョウコさんは昔、トモミさんの家に嫁いできて、一年ほどその家で暮らし、突然姿を見なくなった女性なのだ。
噂では、強制的に離婚させられ、実家へ戻された。
理由は、障害児(ミカさん)を生んだから。
病院に初孫を見に行った祖父母は、生まれた子供が障害児だと知り、息子と別れさせることを決意した。
子供を連れてこのまま実家へ帰るようキョウコさんに詰め寄ったのだ。
代わりに田んぼをやるから、二度と息子にも連絡するな、と言い渡したらしい。
そうして、キョウコさんはその家から姿を消した。
その後、息子さんは別の女性と結婚し、トモミさんが生まれたらしい。
トモミさんとミカさんは、腹違いの姉妹ということになる。
トモミさんはこの事実を知らないだろう。
もちろん、ミカさんも知るはずがない。
キョウコさんは知っているのか、知らないのか・・・判断つけがたい。
障害児はお荷物だ、そんな者が生まれたら家の恥だ、縁を切って母親と一緒に実家に戻すのが一番賢い・・・・そういう暗黙の了解が、ついこの間まで当たり前にあった日本。
現在だって同じかもしれない。
だが、夫婦の縁が因縁に変わる時、切っても切れない運命で結ばれてしまうことがある。
キョウコさんを追い出したトモミさんの祖父母は、まさか可愛い孫娘が、ミカさんの世話をすることになるとは夢にも思わなかっただろう。
因縁にまつわる、怖い話。
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