怖い話-人形の怖い話(5)

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夢を見なくなった代わりに、彼女は実体の無い「何か」に怯えるようになった。

それはマンションの同じ部屋に確実に同居していて、目には見えないが、彼女と背中合わせにピッタリくっついて、息を殺しているのだ。こちらが気を張り詰めている時は何もしないが、気分が落ち込んでいる時や、深く眠っている時、それは悪意のかたちとなって彼女を襲った。酷い頭痛に突然襲われたり、激しい耳鳴りと共にめまいがしたり。金縛りになって身動きがとれない時などは、不可解に揺れるモヤを見るようになった。

やがて自分をとりまくすべてが怪しく思え、他人のありふれた言動すら不愉快に感じられるようになった。当然、彼女の精神は以前にも増して衰弱し、とうとう会社も辞めることになった。

ひとりではまともに暮らせないほど精神的に病んでしまった彼女は、実家の両親にひきとられた。娘を心配し、両親は方々の病院へ足を運んだが、彼女の状態は良くならない。実家に戻ってからも、彼女は目に見えない影や気配に怯え、体は衰弱し、状況は悪くなるばかり。このまま娘は死んでしまうのではないか・・・そんな不安が両親の間に染み込みはじめた、ある夜のことだ。

真夜中に、両親は二人で飛び起きた。父親も、母親も同時に目が覚め、布団の上で互いの顔を見合った。飛び起きた理由を両親は互いに訪ね合い、ありえない偶然に首をひねった。両親は同時に、同じ夢を見たのだ。

真っ暗な中で、火が燃えている。激しい炎は不意に伸び上がったり、縮んだりして、狡猾な生物のように轟々と音を立てて燃えている。炎の前には死んだ祖母がいて、バケツで必死に火を消そうとしている。年老いたか細い体でバシャバシャと水をかけながら、祖母は大声で言うのだ。火を消せ! 火を消せ!  おみっちゃんが燃える! おみっちゃんが燃える! おみっちゃんを燃やすな! おみっちゃんを燃やすな・・・・・!!

あまりにリアルな夢だったので、両親はひどく胸騒ぎがした。そういえば、娘の具合の悪さにバタバタと引越すことになり、運んだ荷物の荷解きも終えていない。祖母が大切にしていた市松人形のおみっちゃんをマンションから持ってきた覚えもない。

まだ開けていない段ボールをすべて確認したが、おみっちゃんは見つからなかった。そこで娘におみっちゃんの所在を尋ねると、あの人形は不吉だから処分したと答えた。両親は驚いておみっちゃんを取りに戻ろうとしたが、娘は猛反対した。おみっちゃんが手元に来ると思うだけで半狂乱状態になり、その様子は尋常ではなかったという。

子供のよう泣きじゃくったり、罠にかかった獣のように暴れる娘は、我が子ながら別人ではないかと疑ったほどらしい。その有様に、両親の胸騒ぎはいっそう強まった。祖母の夢は虫の知らせではないか、孫を思う祖母が、自分たちに何かを知らせているのではないか、とにかくおみっちゃんを取り戻さなくてはならない、そんな使命感が知らずとわいてきた。父親が娘を取り押さえている間に、母親がそっと家を抜け出し、迷いながらも人形堂を探し当てた。その日は、半年に一度、人形堂に供えられた人形たちが焚き上げられ、処分される日だったのだ。

母親が人形堂に到着した時、すでに人形の大半は燃やされていた。一番隅に置かれていたおみっちゃんも、間もなく炎の中に投げ込まれるというとき、母親が止めに入った。その人形は燃やさないでください。貌はずいぶん汚れているが、それは祖母の大切な人形です。家に連れて帰ります。母親は変わり果てたおみっちゃんを抱いて、やっと家に帰ってきた。

暴れる娘を一日中取り押さえ、なだめすかしていた父親が、精根尽き果てた様子で出迎えた。娘は、母親が帰宅する少し前からおとなしくなり、おみっちゃんが家に入ってきたときには静かに眠っていた。人形堂で雨風にさらされ、すっかりボロ人形になってしまったおみっちゃんをテーブルに置き、父親はその姿を息を飲んで眺めた。雨風に汚れただけでなく、おみっちゃんの貌の変わりようは、直視するのも悍ましかった。母親も、おみっちゃんを持ち帰る間中、大火傷のように変色した貌が気味悪かったという。とにかく、祖母の夢の通りにおみっちゃんを燃やされずに済み、大事な役目を果たした気がした。両親はおみっちゃんの汚れを丁寧にふき取ると、祖母の仏壇に飾ってやった。

その夜、娘は目が覚めても部屋から出てこなかった。おみっちゃんが怖いと言い、ドアを開けようともしない。母親がドアの外に食事を置いたが、いつまで経っても手をつけようとはしなかった。昨夜からの疲労もあり、両親は一度床に就いたのだが、深夜を回った頃、母親が目を覚ました。家の中は静かだが、何かが気になった。誰かに起こされたような気もした。そういえば、娘はちゃんと食事をしただろうか、また何かに怯えてはいないだろうかと心配になり、母親は娘の部屋に向かった。娘の部屋は電気も消えているらしく、シンとしていた。ドアの前に置いた食事には手を付けていないが、この様子ではおとなしく眠っているらしい。ホッと安堵して、トイレに行こうとその場を離れようとした一瞬、母親は立ち止った。

出ていけ

どこからか、そんな声が聞こえた気がした。それは声ではなく「言葉」であり、「強い意志」のようでもあった。音として耳に入ってきたのではなく、母親の意識に直接届いたような感じだった。しばらくそのまま立っていたが、それきり何も起こらず、娘の部屋も静かだったので、空耳だったのだろうと自分に思い聞かせ、母親はトイレに向かった。

純和風の古い家屋のトイレは、長い廊下の突き当たりにある。住み慣れた自宅なので、電気もつけなかった。暗い廊下を歩いていくと、母親の素足にコツン、と、何かが当たり、少し転がった。何にぶつかったのどろうかと目を凝らした瞬間、母親は自分が蹴った物を知って悲鳴を上げた。静かな夜半、家じゅうに響いた悲鳴に父親が駆けつけると、腰を抜かした母親の足先に、首が転がっていた。焼けただれたように変色した「おみっちゃんの首」が。

綺麗な黒髪を乱し、斜めに転がってうつろな瞳を開いているおみっちゃんの首は、父親がつけた蛍光灯に照らされ、まるで生首のように見えたという。そこは仏間の前で、襖は開けたままになっていた。祖母の仏壇に飾ったおみっちゃんの首がもげ、そのまま廊下に転がり出たのだった。両親が言葉もなくおみっちゃんの首を見守っていると、部屋にこもっていた娘が顔色を変えてやってきた。彼女は腰を抜かしたままの母親には見向きもせず、おみっちゃんの首を抱いて泣き始めた。あれほど怖がっていたおみっちゃんの、しかも、その首を抱いて泣く娘の姿を見て、両親は唖然としていた。

彼女は、ついさっきまでおみっちゃんと一緒だったと言った。夢におみっちゃんが出てきた。おみっちゃんが自分の代わりに死んでくれたのだと泣いた。おみっちゃんが戻ってきたその晩、彼女は、マンションで度々自分を苦しませた例の夢を見たという。

夢の中で、彼女は暗い静かな場所に立っている。頭上を覆う影はさらに薄暗く、様々な形になってザワザワと揺れ動いた。どうやらそこは木立の中なのだが、実際の森や山とは違って、どんなものにもハッキリとした輪郭がない。そのモヤモヤとした薄暗い木立の奥から、おみっちゃんが追いかけてくる。おみっちゃんの貌はまるで生きている人間のように生気があり、彼女は恐ろしさのあまり逃げ出すのだが、おみっちゃんは驚くほど速く、すぐ後ろまで迫ってくる。もう少しでおみっちゃんに捕まりそうになった瞬間、彼女の視点が変わった。

いつの間にか、彼女は別の場所からその光景を眺めていた。まるで彼女はその場所の木にでもなって、おみっちゃんが自分を追いかけている様子を傍観していた・・・いや、追いかけているのではない、逃げているのだ。こうして別の角度から見て、彼女は初めてそれを知った。おみっちゃんは自分を追いかけているのではなく、自分の身代わりに追いかけられているのだ。おみっちゃんをを追いかけているのは、大きな影のようなモノだった。それは形の定まらない、ひどく陰鬱で、凶暴性があり、強烈な悪意を放つ塊で、ついにはおみっちゃんを捕らえ、その体に馬乗りになり、おみっちゃんの貌をギュウギュウ押さえつけた。それから、おみっちゃんの首をむしり取った。おみっちゃんの首は、されるがままに宙に飛んだが、首がとれた時、おみっちゃんが最後の力を振り絞るように毅然と影に言い放った。

「出ていけ!」

目が覚めたとき、彼女の心も、体も、嘘のように軽かった。これまで自分にまとわりつき、生殺しのように絞めつけていた何かが綺麗に消えていた。同時に、自分を守り、身代わりになってくれたおみっちゃんが死んだと直感した。すると母親の悲鳴が聞こえた。駆けつけてみると、母親の足元には夢の通り、おみっちゃんの首があった。

・・・・彼女の実家の墓に眠る祖母の骨壺の傍らには、人形が納められている。祖母の骨壺に寄り添うように納められた、おみっちゃん。彼女の祖母は生前、人形は持ち主の身代わりになり、守ってくれると話していたそうだ。

彼女は言う。祖母はマンションに泊まったあの晩、何かを感じたのだろう。だからおみっちゃんを送ってよこしたのだ。自分の代わりに孫を守ってくれるように。それとも、おみっちゃんの体を借りて、祖母が助けてくれたのだろうか。真相は誰にもわからない。ただの偶然か、自分の頭が本当におかしかったのか、今となっては調べようもなく、調べる必要もないと思う。菩提寺の住職に一連の出来事を話すと、この人形は役目を果たしたのだから、持ち主の側に置いて弔ってやりなさいと教えられた。だから祖母の傍らに埋葬した。言葉にできない感謝の気持ちを精一杯込めて、おみっちゃんの為に手を合わせ、毎年線香をあげている。

もともと命のない人形が「死んだ」というのもおかしいが、ボロ布のようになって役目を果たしたおみっちゃんには、相応しい言葉だと思う。以来、自分は元通り元気になり、普通の暮らしができる。あれから、世の中を見る目が変わった。本当に恐ろしい体験をすると、人は変わるものだ、と彼女は言った。どんな風に変わったのかと尋ねると、それは本当に怖い思いをした人間にしか判らない、と答えた。

人形にまつわる、怖い話。

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