怖い話をいくつか書いてきた。
奇妙な体験も昔からよくある。
だが、わたしは幽霊の存在を肯定も否定もしない。実はよくわからない。実は物凄い怖がりだ。
怖い話のビデオやらDVDやら都市伝説やら、果てはネット上に反乱するあらゆる怖い話に共通する点は視覚重視で、夜ひとりで見るなんてとても考えられない。
わたしがオカルト物を見る時は数人で、しかも真っ昼間で、おまけに半分はこっそり目を反らして直視しないようにしている。
わたしに変な体験が多いことを知っている友人は、噂の心霊現場などに行くと決まって「何か見えないか?あの辺に何か立ってないか?」なんて訊くのだが、そんなものは見えない。半分体の透き通った人間も、青白い顔の女も、もやもやした影も見えない。
幽霊よりも借金取りの方が怖いし、生きている人間の方が確実に残酷で非道徳だと思う。もちろん、そうじゃない人だって大勢いるが。
最近、このブログの閲覧者が急に増えた。リピーターが増えたこともあるが、「子供向け検索サイト」からのお客さまがかなりいる。ということは、年端も行かない子供達が大勢見ていることになる。
少しそれを意識して書かなければいけないと感じた。それが大人の義務だと思う。自由主義や金銭主義で大勢の人間を集められればいいというものではない。不特定多数の人間に自分の意見や情報を提供出来るインフラがあるからと言って、何でも声を大にして言って良いハズがない。それを権利と主張するなら、これからの未来をになう子供達が健全な精神を養う環境を得るのも、極めて重要な権利なはずだ。
わたしはあまりテレビを観ない。仕事で忙しいという理由もあるが、わたしが観るテレビが自分の子供の精神に悪影響だと感じたからだ。わたしがテレビを観られるのは夕飯の終わった後で、ちょうど子供達も側にいる。観るのは主にニュースだが、近年とても残酷な事件ばかりが前面に押し出されている気がする。
一時期、わたしの子供達は異常に臆病になっていた。気が付けばブツブツ何かを言っている。何を言っているのか訊ねると、怖いことを考えてしまうから考えないようにしている、と答えた。子供達の口から出た怖いものは「殺人」「虐待」「誘拐」「殺傷事件」「バラバラ殺人」「通り魔殺人」「いじめ」「自殺」「不審者」・・・・等。
年令から考えるに、彼等はそれらの単語の意味を理解していない。なのに切羽詰まった恐怖を感じている。世の中に反乱する必要以上の事件や事故の情報が、彼等の精神にとってある意味「危険」なのだと実感した。
報道の自由、情報を得る権利、それは大切だ。残酷な事件に蓋をして、日の目を当てないようにする必要はないと思う。
が、テレビやニュース、ネットや書籍・雑誌に至る迄、不特定多数の人間に情報を配信する人たちは、その情報や広告がどんな人間にどんな形で受け入れられ、どんな影響を及ぼすかについてもう少し考えるべきだと思う。
そして親や周囲の大人たちも同様に。
世の中は昔から理不尽だ。怖いことも沢山ある。残酷な出来事も山ほどある。だが素敵な人や素晴らしい出来事も沢山あるし、嬉しいことも、夢も希望も山程あるのだ。
これから大人になっていく子供達の精神が健全に育たない環境ほど、怖い未来はないと思う。
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