峠の茶屋の怖い話

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気持ちの良い山道に影がさし始め、賑やかなアブラ蝉がひぐらしの響きに変わる頃、その男は峠のあたりに差さしかかっていた。買ったばかり黒いTシャツを着て、お気に入りのスクーターに乗り、少しばかり遠出をしようと家を出て、すでに何時間も経っていた。峠についたらUターンしようと思っていたのだが、なんだか雲行きが怪しい。カナカナカナ・・・と、涼やかに木霊するヒグラシの音に交じって、遠くから雷鳴が聞こえてきた。真っ黒な雲はあっという間に山々を飲み込んで、酷い夕立がやってきた。

腕を打つ雨粒が痛いほどの降り方だった。最初はすぐ帰路に就こうと思ったが、これほど濡れたら後はどんなに雨に打たれても同じだ、と、そのまま峠を目指した。

スクーターを飛ばして山道を上がっていくと、10分足らずで峠に着いた。峠にはほんの少し開けた場所があって、今にも崩れそうなあばら家が建っている。木造平屋のボロ屋で、昔は茶屋だったらしいが、数年前に男が訪れた時も営業している気配はなく、人が住んでいるような様子もなかった。

スクーターをUターンさせて、何気なくあばら家を見た時だ。

男は、歪んで半開きになった木戸の間に、ありえないものを見、目を凝らした。激しい雨にぼやけて、見間違いをしたのだと思った。夜、柳やススキが幽霊に見えたりするように。だが、目を凝らせば凝らすほど、その古ぼけた戸口に立ってこちらを見ているものの正体が明らかになった。

足の先から血の気が引いて行き、腰が抜けそうな恐怖が襲ってきた。

あばら家の戸口に、老婆が立って、男をジッ・・と見ていたのだ。

老婆は白髪で、髪をボサボサに乱し、着物の襟ははだらしなく、肋骨が浮き出るほど痩せた胸元がのぞいている。前かがみに腰を曲げ、乱れた白髪の下からやけにギラギラした目だけがこっちを見ていた。

男が老婆と目を合わせたのはほんの一瞬だったが、鋭く、獣じみた、どこか虚ろな眼差しは、今でも夢に見るという。

男が咄嗟にスクーターのエンジンをふかし、その場から逃げだしたのは言うまでもない。人里離れた峠のあばら家に、たった一人で老婆が住んでいるなんて聞いたこともない。大の男が・・・と笑われるかもしれないが、山を降りる間中、子どもの頃に聞いた昔話が思い出された。「三枚のお札」の昔話・・・道に迷った小僧を喰おうとする恐ろしい山姥の話。あの話に登場する山姥は、逃げ出した小僧をどこまでも追いかけてくる。まさか自分も・・・そう想像すると、恐ろしくて背後を確認することもできなかった。

男はなるべく人の多い場所に逃げ込みたくて、山道を下った場所にあるコンビニに立ち寄った。店内には数人のお客がおり、店員は愛想よく「いらっしゃいませ」とあいさつした。だが、店の中を何気なくウロウロしているうち、店の雰囲気が変わってきた。なんだがジロジロ見られている気がするのだ。視線に気が付いてそっちを向くと、知らないお客が商品を物色している。気のせいか・・・はじめはそう思っていたが、店に入ってくる人、立読みをする人、商品を並べている店員、そんな誰もがチラチラと自分を盗み見ている気がした。

男には、自分が注目されるような心当たりはなかった。強いて言えば、ひどい夕立の中を走ってきた為に、全身ずぶ濡れ、ということだけ。それともここにいる人間たちは、自分がついさっき山姥に出くわしたことを知っているのか?・・・まさか、自分だけ気づかないだけで、背中に山姥がピッタリくっついているのでは・・・?バカげた考えだが、そう思うといてもたってもいられなくなり、男は店のガラスに背中を映し…同時に、腰を抜かして後ろの商品棚にぶつかった。

男の背中には、山姥の顔があったのだ。

正確には、Tシャツに。

新品の黒いTシャツが激しい夕立に叩かれて、あろうことか色落ちしていた。

それも、どう見ても山姥の顔そっくりに。

店内の人たちは、印刷ではない、あまりにリアルで不気味な山姥の顔を、思わず眺めていたのだった。

男がそれからどうしたか、お話しよう。

男は人目もはばからずその場でTシャツを脱ぐと、コンビニのゴミ箱にそれを押し込んで、上半身素っ裸のままで実家へ帰り着くなり高熱を出した。更にそのまま肺炎を起こし、長らく入院するハメになった。入院している男を見舞ったとき、わたしは男から山姥の話を聞かされたのだ。

怖くて不気味な話ではあるが、男の話を聞いて、わたしはある人を思い出した。「竹千代さん」という女性だ。

わたしは男に言った。

もしかしたら、わたしはその山姥が生きている時に会ったことがある、と。

男は信じられないような顔つきでわたしを見た。山姥に会ったことがあるなんて・・・それも、「生きている時」とはどういうことなのか?

わたしが山姥に会ったのは、ほんの小さな子供の頃だ。まだ我が家のお爺さんが生きている時分で、ある時、お爺さんのカブ(小さなバイク)に乗せられて、散歩がてらその峠に行ったことがある。峠には物置のようなボロ屋があって、子供心にも随分と汚い家だと思った。

お爺さんがそこでUターンしようとした時、、ボロ屋の戸口に老婆が出てきて、わたしたちを手招きした。子どもだったわたしはゾッとした。その老婆は、本当に昔話の山姥そのものに見えた。ボサボサの白髪頭、汚らしい着物を無造作に身に着け、だらしない襟の下には痩せこけて肋骨の浮いた胸元が見えた。そんな老婆が薄暗いボロ屋の戸口に立って手招きしている光景は、本当に怖かった。

わたしは恐ろしさのあまりお爺さんの背中にしがみついたのだが、お爺さんはわたしをカブに残したまま、手招きしている山姥に近づいて行った。そして山姥に向かって朗らかに

竹千代さん、元気かい?

と、声をかけたのだ。

お爺さんはしばらく山姥と話をすると、草餅をひとつ手にして戻ってきた。わたしに草餅を手渡しながら、

竹千代さんがお前にくれたぞ

と、言った。

手渡された草餅は柔らかくて、まだホカホカと暖かかった。ヨモギのいい匂いがたまらなく美味しそうだった。あの恐ろしい山姥が、こんな美味しそうなおもちをくれるなんて・・・わたしはそのギャップがとても奇妙で、しみじみと餅を眺めた後、山姥を見た。暗い戸口に一人ぼっちで立っている山姥のような竹千代さんは、しわくちゃに笑うと、深くお辞儀をした。

竹千代さんは若い頃、京都の芸者だったという。とても器量が良く、上品で、魅力的な竹千代さんに恋をした男がいた。その男はうちのお爺さんの友人で、地元では名家と知られる家の跡取り息子。竹千代さんと知り合った時には親が決めたいいなずけと結婚しており、子供も三人いた。だが、彼はどうしても竹千代さんをあきらめきれず、大金を払って身受けをし、はるばる京都から彼女を連れ帰った。

連れ帰ったはいいが、彼女を地元に住まわせるわけにはいかない。世間の狭い田舎ではすぐに噂が立ち、竹千代さんにも、自分にも、家族にも良くないに決まっている。かといって、あまり遠くに住まわせると、気軽に会うことができない。そこで町外れの寂しい峠道に茶屋を建てて、店をさせながら竹千代さんを住まわせることにした。

彼は週に二度、生活必需品を買い込んで、カブの荷台に積み、山奥に一人で暮らす竹千代さんのもとに通ったという。ふたりは何十年もそうやって忍び会いをしていたが、やがて年をとり、彼は先に死んでしまった。竹千代さんは彼が死んだ後も、町に移り住むことなく山奥で暮らし続けた。

わたしが子供の頃に会った時には、すでに山姥のような風貌だった竹千代さん。とても美人だったという彼女がどうしてそんな姿になったのかは判らない。好きな男を山奥で待つ暮らし。男が死んでも山を下りず、そこで暮らし続けた竹千代さん。最後は、峠のあばら家で、孤独死したという。

私の知り合いの男はおそらく、雨に打たれて風邪をひいただけだろう。竹千代さんの呪いや恨みなどとは思えない。Tシャツに浮かんだ老婆の顔は、ただの偶然か、思い過ごしか。もしかしたら、男のスクーターのエンジン音が、愛しい彼のカブの音に聞こえてあの世から出てきたのかもしれないが・・・・。

山姥と言われた女性の、切なくて、悲しい、ちょっと怖い話。

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